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前同窓会長からのご挨拶

前同窓会会長
坂本 尚夫

 同窓会員の皆様にはご健勝にてお過ごしのことと拝察いたします。

 私は、1999(平成11)年4月から2018年(平成30)年3月まで、19年というあまりにも長い間、同窓会会長の座にありましたので、老害と言われているのではないかとかなりの引け目も感じており、静かに退任するつもりでした。富岡幹事長から退任の挨拶文を書くように言われた際、強く拒否できなかったのは、私なりに同窓会への愛着が強くなっていたためかもしれません。
 薬学部・研究科の歴史については、古くはアミコスの記事をはじめ、50周年記念誌等にいろいろな記載があります。これに対し、同窓会についてはほとんど纏められておりませんので、私の記憶を辿って同窓会のあゆみを記し、他の同窓生からの追加・修正等をいただき、同窓会の歴史作成の一助にしていただければと思います。
 1976(昭和41)年3月学部卒業と同時に終身会費の同窓会費を納入し、私も1971(昭和36)年に1期生の卒業と同時に設立された同窓会の会員になってはいましたが、その存在や活動には全く関心がありませんでした。初めて同窓会を意識させられたのは北四番丁(現星陵町)キャンパス時代です。修士課程2年か博士課程1年の頃かと思いますが、1期生の武田元さん(薬剤学講座出身)から立ち話で「同窓会活動が重要だ」と言われた記憶があります。その後1969(昭和44)年に、学部・研究科は青葉山キャンパスに移転し、同窓会のことは全く記憶に残らない時間が過ぎました。
 1987(昭和62)年に薬学部(科)創立30周年記念式典が開催されました。私個人はこの催事には直接関与しませんでしたが、山中宏教授からパネルディスカッション(記念講堂;現川内萩ホールで開催)のパネラーの人選で相談を受けた記憶があります。ただ、学部教授会と同窓会役員会とでは、式典等の開催についてかなり意見の違いがあったというような噂を漏れ聞いた記憶があります。
 古い同窓会名簿を見てみたら、私は1988年に幹事長に、1992年には副会長に就任していることが判りました。この頃の同窓会の活動は毎年3月頃に学部卒業生・大学院修了生から漏れなく同窓会費を集めることと4年に一度の同窓会名簿を作成することだけでしたので、この名簿作成時期に合わせて役員に就任したのでしょう。
 1993(平成5)年に独立専攻が設置され、1999(平成11)年に所謂大学院重点化が行われました。私が研究科長・学部長に就任したのはこの年で、会則に従い同窓会会長になりました。この頃は薬友会や院生会の活動が低下しており、薬友会誌アミコスも事実上廃刊になっておりました。
 この時期は東北大学100周年記念事業が計画され始めており、薬学も設立50周年を迎えようとしており、同窓会の活動にも何らかの変化が求められ始めてきました。その変化としては、学部の情報委員会の先生方のボランティア的協力に頼ってのホームページの開設・運営と関東および関西の同窓生による支部を立ち上げでした。さらに、平澤典保幹事長のもとで、2003(平成15)年に会則を変更しました。大きな変更点は名称を薬学同窓会と変更したこと、同窓会会員資格を卒業時から入学時に変更したこと、および会長を学部長の宛職から役員会が一般会員から選出することにしたことなどです。
 2004(平成16)年に国立大学は国立大学法人となり、2006(平成18)年には薬学部(科)創立50周年記念式典を開催することができ、またこの年には薬学部6年制が始まりました。
 平澤幹事長の後任の岩渕好治幹事長の時から、役員会が毎月開催されるようになり、また若い役員の就任はこれからの同窓会活動に大きなインパクトを与えたと思います。これまでの主な活動であった同窓会名簿の発行以外に、学生幹事の選出と役員との懇談会、同窓生による講演会、卒業生への記念品贈呈、新入生オリエンテーションへの補助などが実施されるようになりました。
 このような中で、2011(平成23)年3月11日に東日本大震災が発生しました。同窓生からの助言もあり、同窓会として震災復興支援事業を立ち上げ、震災復興支援の募金を行いました結果、多くの同窓生から暖かい援助の手が差し伸べられ、研究科・学部の震災復興の一助となりました。同窓生へ改めて感謝の意を表したいと思います。
 現在は、東北大学全学同窓会が発展的に衣替えした萩友会を中心に全学的同窓会活動を展開して、薬学同窓会も萩友会と協力しつつ、その活動を活発化していくことでしょう。
 最後に、これからの薬学同窓会は大島吉輝会長のもとで、研究科・学部への支援と共に同窓生への情報提供を積極的に行っていくものと期待しております。そのためには同窓生のご協力のもと、財務基盤の充実が最も重要な課題になるのではないかと思います。