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枯葉    学部長 亀谷 哲治

 以下は、1977年、あみこす21-1号に掲載された、当時学部長であった故 亀谷哲治先生の玉稿です。亀谷先生の研究における哲学を知ることができます。

(あみこす 21-1号から)
 五月の青葉もゆる新緑のとき、庭木を見ていると、誠に緑があざやかで目にしみるようである。すくすくと青葉が成長してゆくのは、ちょうどアミコスの諸君のようであり、また人生を夢見ているようでもある。現在の私にとって新緑もよいが、枯葉もなかなか味があるように思える。シャンソンには「枯葉」という有名な曲もあるが、私の好きな歌の一つである。私は枯葉のようなイメージが好きである。  新緑に始まって紅葉、そして冬とともに落葉する植物の自然現象も人間のいきざまによく似ているようである。私共は子供の頃より勉強させられ、小学校、中学校、高校と順を追って大学に進み、学問を学び、何とか卒業して社会にでてゆく。その中には出世する人もあり、そうでない人もある。私のように研究を趣味として一生をあわただしく過ごしてゆく人間もいる。私も年をとってみると、自分は一体何を目的として仕事をしてきたのか、また人類のために何か役立つことをしてきたかどうか、疑問に思うことがある。丁度私の人生を振りかえってみると枯葉のような心境である。  枯葉にも何らかの意義があるのではないかと思う。植物にも互いに自分のなわばりを守る性質があるといわれている。つまり異種の植物を自分の周囲に育てさせない現象がある。きっと枯葉の中に種族保存のために何らかの成分が含まれているかも知れない。そこで枯葉を集めてその成分を抽出し、除草剤として役立つものを検討してみたら興味ある結果が生まれるのではないかと考えてみたことがある。研究のことはさておいて、枯葉そのものは、新緑、紅葉として一年間人々の目を楽しませたあと、地上に落ち、さらにくさって次の世代の植物への栄養源となることであろう。私の研究もただ自分が楽しむだけではなく、次の世代の人達に少しでも役立つものを残したいと念願している。ただの枯葉ではなく、次の世代への価値ある枯葉でありたい。  春夏秋冬、春に始まり、夏および秋を経て冬の休息期が来る。諸君のような青春期に一生懸命努力しておかないと、すぐ冬のような人生を迎えてしまうであろう。誠に人生は過酷である。アミコスの諸君、将来人類にとって価値ある一枚の枯葉になってほしい。私も次の時代の若者達のために、残り少ない人生を有意義に暮らしたいと思う。そのためには諸君とも自由に人間について語り合い、また研究教育に努力してゆきたいと考えている。

(昭和52年5月5日記)