Emory University (Prof. Mingji Dai)
2026年1月1日~3月26日 DC2 菅野 雄亮
概要
このたび、本学術変革領域研究(A)のご支援をいただき、米国Emory Universityに、2026年1月から3月までの約3か月間、研究留学をさせていただきました。留学先ではMingji Dai教授の研究室に所属し、複雑なアルカロイドの全合成研究に取り組みました。完全に新規のテーマであったため、化合物の合成だけでなく、フラグメントの逆合成戦略についてもDai先生と議論しながら方針を決定する機会をいただき、大変貴重な経験となりました。本留学を通じて、自身の逆合成力を高めるとともに、英語で議論する力も鍛えることができました。
留学に至るまで
元々、自身の語学力や環境適応力の向上に加え、現所属の指導教員である徳山英利先生とは異なる思考や研究姿勢に触れてみたいと考えていました。そんな折、徳山先生からDai先生の研究室への留学のお話をいただきました。後に伺ったところ、徳山先生が以前より交流のあったDai先生と学会でお会いした際に依頼してくださったとのことでした。その後、オンラインでの面接を経て、9月初旬に1月からの留学が決定し、急いで準備を進めました。まず、ビザ取得に必要な書類を揃えるため、Emory大学の事務担当者とやり取りを行いました。しかし、時差が14時間あり、ほぼ昼夜が逆転しているため、日本時間の深夜に連絡を取ることもありました。 その後、10月末に必要書類が揃い、米国大使館でのビザ面接を経て11月末に無事ビザを取得しました。そこから航空券や宿泊先の手配を進め、出発の2週間前になんとか準備を完了することができました。
Emory大学
Emory大学は、アメリカ南東部ジョージア州アトランタに位置する大学です。自然豊かな環境にあり、研究活動が盛んな大学として知られています。そのため、世界各地から優秀な学生が集まっており、多くの留学生が大学院生として在籍していました。また、スポーツ施設も充実しており、サッカー場やラグビー場、広大な体育館、テニスコートなどが整備されていました。テニスが趣味の私は、日本からシューズとラケットを持参していたため、毎週土曜日の午前中にはテニスを楽しんでいました。
研究生活
大学の研究室へはシャトルバスを利用して通っていました。始発は5時45分、終発は20時30分でした。 Dai研究室では、土日は基本的に自由であり、平日は9時から18時まで研究室にいるよう求められていました。一方、私は滞在期間が3か月と限られていたため、できるだけ多くの成果を得るべく、平日は朝7時頃から20時頃まで実験を行い、土日も午後は可能な限り研究室に出るようにしていました。また、研究室のルールとして、毎週月曜日には進捗報告があり、各学生がDai先生と個別にディスカッションする時間が設けられていました。さらに、毎週木曜日の17時からはセミナーが開催され、文献紹介、逆合成ゼミ、各自の研究報告などが行われていました。終了時間は内容によって異なっていました。
現地での生活
今回の留学ではシェアハウスに滞在し、インド人、ブラジル人、リベリア人の計4名で共同生活を送りました。アメリカでは外食費が高く、量は日本の約2倍、価格は約4倍ほどに感じられました。そのため、基本的には近隣のスーパーで食材を購入し、自炊をしていました。今回の留学で初めての一人暮らしであったため、当初は自炊にも苦労しましたが、ルームメイト、特にブラジル出身の同居人の助けもあり、徐々に慣れることができました。また、アトランタの気候は概ね日本より温暖で、年明け直後は10〜15℃程度と過ごしやすい日が続いていました。しかし、留学開始から2週間ほど経った頃、記録的な寒波がアメリカ東部を襲い、2月中旬頃までは寒い日が続きました。気温が−10℃近くまで下がる日もあり、普段は氷点下になることが少ないアトランタでは、バスなどの交通網が麻痺し、大学が休講となる日もありました。
アトランタについて
アトランタは自然が豊かで広い地域ですが、公共交通機関は南北に走る鉄道とバスが中心で、あまり発達しているとは言えず、基本的には車社会という印象を受けました。また、アトランタ国際空港は世界でも有数の利用者数を誇るハブ空港として知られています。私が帰国した際には、米国国土安全保障省の予算失効の影響で、保安検査職員の欠勤や離職が相次ぎ、アトランタを含む主要空港で混雑が深刻化していました。その結果、保安検査場は3時間待ちの長蛇の列となっており、3時間前に空港へ到着していたにもかかわらず、当初予定していた便に搭乗することができませんでした。最終的には翌日の便に変更し、1日遅れで帰国することとなりました。この際、旅行代理店を通じて航空券を購入していたため、変更手続きにやや苦労する場面もありましたが、空港職員の助けもあり、無事に帰国することができました。今後留学される方には、トラブル時の補償オプションを付けるか、航空会社から直接航空券を手配することを勧めたいと思います。また、アトランタはコカコーラ社発祥の地としても知られており、博物館であるWorld of Coca-Colaは代表的な観光地の一つです。館内ではコカ・コーラの歴史を学べるほか、各国のさまざまな飲料を試飲することができました。さらに、ジョージア水族館も有名で、世界最大級の規模を誇る水族館として知られています。館内は非常に充実しており、テーマパークのような迫力がありました。
観光
週末を利用して、2月末にはニューヨークを訪れました。同時期に同じ研究科からニューヨークに留学していた同期の大学院生と合流し、自由の女神や美術館、市街地の散策を楽しみました。しかし、帰路の日曜日には搭乗予定だった便が欠航するトラブルに見舞われました。Dai先生に事情を説明したうえで、翌日の便を手配し、1日遅れてアトランタへ戻りました。その結果、月曜日の夜便まで時間ができたため、メトロポリタンミュージアムを訪れ、世界各地の美術品を観賞することができ、思いがけず貴重な機会となりました。また、帰国の少し前には、マイアミオープン(テニスの試合)を観戦するため、マイアミにも足を運びました。フロリダは気温が25度前後と暖かく、開放的で魅力的な都市だと感じました。
留学を通して
今回の留学では、所属した研究室の学生に加え、他研究室の学生も含め、多くの大学院生と交流する機会がありました。日本では大学院生の半数以上が修士課程で修了する一方、現地ではほぼ全員が博士課程まで進学していました。修了後の進路も、ポスドク、大学教員、企業就職など多岐にわたっていました。中でも、隣のデスクだった博士3年の学生は、5月から他大学で助教として勤務することが決まっていました。彼の研究テーマに関するジョブプレゼンテーションを聞く機会がありましたが、研究内容そのものの面白さに加え、学生の技術的習熟度や授業との両立まで見据えて研究計画が緻密に考えられており、非常に印象的でした。アカデミアにおける研究の魅力と厳しさの双方を感じ、大きな刺激を受けました。また、ポスドクの方々や他の学生とも、就職先や進路選択の決め手について議論する機会がありました。それらの対話を通じて、今後どのような形で化学と関わっていくかを考えるうえで、大きなモチベーションを得ることができました。もちろん、個々の研究テーマについても多く議論し、現在日本で取り組んでいる自身の研究を、卒業までに可能な限り前進させたいという思いを強くしました。一方で、英語に関しては、多くの留学生と交流したことで、日本人全体の英語運用能力の低さを改めて実感しました。実際、各国の英語能力指数では、日本は非英語圏123か国中96位とされています。そのため、日頃から英語に触れ、実際に使う環境を自ら作ることの重要性を強く感じました。留学生との積極的な交流、実験ノートを英語で記録すること、英語の音声・映像コンテンツに日常的に触れることなど、小さな取り組みの積み重ねが重要であると考えています。
謝辞
改めまして、Emory大学での研究期間中ならびに留学準備の段階から、多くの方々に多大なるご支援を賜りました。留学を快く受け入れてくださったDai先生、そして温かく迎えてくださったDai研究室の皆様に深く感謝申し上げます。また、本留学の機会を与えてくださった徳山英利先生、本研究領域の代表である菊地和也先生、ならびに藤本様をはじめとする支援職員の皆様にも心より御礼申し上げます。最後に、本留学について全面的なご支援を賜りました学術変革領域研究(A)「潜在空間分子設計」に深く感謝申し上げます。
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研究室メンバー 二人ともとても優秀で刺激を受けながら研究することができました。
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エモリー大学化学科
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キャンパスのテニスコート冬の間は室内のハードコートを使い、最後の週だけこの外のコートを使いました
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自分のフード D3と共通のフードでしたが、D3が就活と博士論文で忙しく、ほぼ一人で使っていました。
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元旦にアトランタの街を一望できる高台に行きました。
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ルームメイトとの自分の送別会 各々が料理しました。この次の日の早朝に帰国予定でしたが、帰国できず、朝戻るとルームメイトに驚かれました。
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空港の外にまで続く保安検査の列 次の日は深夜から空港に待機しましたが、自分以外にも多くの人が徹夜で待機していました。
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World of Coca-Cola 世界のファンタや謎の炭酸飲料が飲み放題でした。
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ジョージア水族館 とても広いプールでイルカショーを見ました。ライトやスクリーンを使った演出が新鮮でした。
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自由の女神 顔まで登ったのですが、思った以上に頂上までは距離がありました。少し曇りだったのもあり、眺めはまあまあでした。
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